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池田修一 (将棋棋士) : ミニ英和和英辞書
池田修一 (将棋棋士)[いけだ しゅういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [いち]
  1. (num) one 
: [しょう]
 【名詞】 1. commander 2. general 3. leader 
将棋 : [しょうぎ]
 【名詞】 1. Japanese chess 
棋士 : [きし]
 【名詞】 1. shogi player 

池田修一 (将棋棋士) : ウィキペディア日本語版
池田修一 (将棋棋士)[いけだ しゅういち]
池田 修一(いけだ しゅういち、1945年2月12日 - 2006年7月3日)は、将棋棋士
青森県八戸市出身。棋士番号102。
== 人物 ==
1960年に15歳で花村元司に弟子入り。
19から20歳前後の三段時に肺結核を発症し、故郷で1968年(昭和43年)5月まで治療入院していた。無収入のため医療費は将棋を教えていた医師が、生活費は親友でプロになりたての中原誠四段(当時)が支えていた。〔将棋世界1991年7月号、池田修一六段(当時)の「師匠と弟子の物語 花村と私(上)」(将棋ペンクラブ 中原人情流)より 〕。
病気復帰から翌年の1969年に四段昇段。
1972年1982年王位戦で本戦リーグ入り。
1982年には、米長邦雄永世棋聖(当時棋王)を破るなど活躍した。
1993年竜王戦において中井広恵に敗れ、女流棋士に公式戦で敗れた最初の棋士となった。
1993年に現役勤続25年。
2000年8月20日に引退。2004年4月1日付で七段に昇段。通算成績は、244勝494敗。
現役から引退しても地元青森県で長く普及・指導に当たり、1977年より毎年八戸市で開催されている「はちのへ将棋まつり」の運営責任者を務めていた。また、地元新聞の将棋欄担当として観戦記の執筆などもこなしていた。
心筋梗塞のため、2006年7月3日に61歳で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「池田修一 (将棋棋士)」の詳細全文を読む




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